小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

「関連する規制を緩和する」だって

昨晩、気合の入ったブログを書きすぎたので、疲れてしまった。 一日中眠たくてどうしようもない。 円谷幸吉が「父上様母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって、ブログを書けません」と遺書をしたためたときのような気分である。 ・・・不謹慎ですね、失礼しました。

ので、本日は、今朝(2012年6月7日)の読売朝刊記事へのコメントだけで、寝ます。

「医療機器開発促進へ新基準」(2面)
厚生労働省は6日、医薬品と一本化している医療機器の開発規制を分離し、新たな基準を設ける方針を決めた。・・・ (以下略)

再生医療 規制緩和へ」(同じく2面)
政府の医療イノベーション会議は6日、再生医療の実用化を後押しするため、関連する規制を緩和する方針を打ち出した。 医薬品医療機器総合機構が行う再生医療製品の審査手続き(治験)を簡素化し、治験にかかる期間の短縮を目指す。・・・ (以下略)

「へー、治験って、審査手続きだったんだ(棒読み)。 ボク知らなかったなぁ(棒読み)」という新鮮な驚きはともかく、この手の記事を読んでいつも思うのは、世の中の人たちは何も知らなくて幸せだよなぁ、ということ。

日本の(いや、本当は世界の)新薬の承認審査のコアは「真空」で、そこには何も存在しないという驚愕の真実を世の中の人たちが知ったら、どんな顔をするんだろう? 乗っている飛行機のコックピットを覗いたら、操縦席には誰も座っていなかった、てな感じかな。 

うちの研究室では、日本の承認審査の基本的な考え方の欠如について「タマネギの中心に何か考え方の芯があるのかと期待して皮を剥いていったら、何も残らなかった」という喩えをよく使っている。

承認審査をめぐるこのあたりの構造的な問題(社会選択論的な論点)については、少し前の記事、
モノしか見ない、世界の王様たち - 小野俊介 サル的日記
を読んでください。 何が「真空」なのかがわかってもらえると思います。

「何を、誰が(どのような基準で)、承認するのか」を規定するための、操作性のある基本概念も、それを支えるべき用語(例:有効性、安全性)の定義も存在しないのに、つまり、本来あるべき規制の根幹が存在しないのに、なぜか規制を緩和したり、規制を見直したりすることだけはできてしまうという不思議な国、ニッポン。 ミラクル、ニッポン。 すごいぞ、ニッポン。 ロンドン五輪も期待できるね、ニッポン!

「何十年もの間、ニッポンはこのスタイルでやってきたのだから、これからもこのスタイルで大丈夫なんだよね、きっと」「大丈夫、大丈夫。 あのサル的な学者が言ってるような日本沈没なんか私の身の回り3m以内では起きてないし」「これからも想定外のことなんか、何も起きるはずがないさ・・・」
 
ふと、ボコボコに殴られた池乃めだか師匠が「今日のところはこれで勘弁しといたるわ」とむっくと起き上がる吉本新喜劇を思い出した。 (池乃めだか)=(ニッポン)ね。 現実のニッポンは、吉本のウソ殴りと違って、外人さんや外国にグーでボコボコに何十年も殴られ続けているうちに、パンチドランカーになってしまった感もある。 つまり、(たこ八郎)=(ニッポン)か。 昭和なにおいがいいなぁ。 個人的には大好きである。 でも、なんか将来性はあまりない気がする(笑)。

言うまでもなく、ここが日本の医薬品規制の最大の弱点である。 ここにちゃーんと手をつけない限り、次世代の明るい未来はないように思う。 知らん顔はやめて、また、喧嘩もやめて、我々の世代で解決しましょうよ。