小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

教育ってどこに消えてしまったのだろう?

「臨床開発(モニターさん)の将来のキャリアパスが無いため、悩んで辞めてしまうヒトが増えている」という話を耳にする。 で、そういう流れの中で、大学院進学の話や、「PhD(博士号)をとらないと出世できない」とか「PhDとっても意味がない」とかいう話も。 

難しい問題である。 まずお断りしておかねばならないのは、「あなた」が、これから何年かの期間、数百万円を「あなた」自身に投資して、大学院や専門学校で教育を受けて、「あなた」が幸せになれるかどうかは、私にはわからない、ということ。 私は「あなた」のことを何も知らないし、「あなた」の幸せは「あなた」にしかわからないからだ。

  • 「なーに、自己満足ですよ。 学位を持っていることを名刺に刷っているだけで happy !」
  • 外資系企業では、出世や転職に役に立つはず」
  • 「大学の教員になりたい」
  • 「本当の実力を身につけて、生産性を高めたい」

十人十色。 心の中はいろいろでしょうからね。

「あなた」のことについて答えるのは難しいのだが、社会における教育の影響・効果については、昔から経済学でたっぷり議論されているトピックであり、私のような門外漢でもいくらかは解説することができる。 (上っ面の解説で申し訳ないけど。)

経済学で注目するのは、やはり、「教育への投資は、生産性の向上につながるのか?」という点である。

で、一般的な認識は「教育への投資で生産性が向上しないわけないだろう」「教育投資は、正の外部性(注)の例として、教科書にも書いてあるぞ。 そんなことも知らないのか」であろう。

(注:正の外部性とは「教育の当事者間を超えて、社会全体に・時間軸を超えて良いことが広がること」くらいの意味と思ってください。)

ところが、ある研究者(World Bankのヒト)の論文によると、「教育は生産性の向上とは関係していない」そうである。 論文タイトルは「教育ってどこに消えてしまったのだろう?」(笑)。 刺激的で良いなぁ。 学者はこうでなくちゃ。

Where has all the education gone? L Pritchett. The World Bank Economic Review 2001; 15(3): 367-391.

教育を受けると、個人の賃金・給与は確実に上がる。 でも生産性は向上していない。 なぜそんなことになるのかの可能性を著者はいくつか挙げている。

  • 教育を受けたヒトが、身につけたスキルを使って、社会の生産性に悪影響を与えることをしている可能性。 教育を受けたヒトが、Better-Educated Pirates (社会の富を奪う高学歴の海賊)になっている可能性
  • 教育がまったく社会の役に立っていない可能性

もう一つ有名な説明(情報の非対称性)に「教育は、中身ではなく、シグナルだ」というものがある。 個人が教育で身に付けるスキルはどうでもよくって、その個人が成功裡に教育を受けた・終えたこと自体がシグナルとして社会で使われているという説明。 Sheepskin effects (羊の皮かぶり効果)というヤツだ。 この説明も可能かもしれない(が、著者はあまりこの立場には賛同していない)。

どうですか。 医薬品業界(産官学すべて)の「あなた」も、教育について考えたくなるでしょ。

  • 「私は、学位とったっていう単にシグナルを発したいだけ。 それで何が悪いの?」 とか、
  • 「転職時に、給料が上がれば、それでいいじゃん」 とか、
  • 「楽に学位が取れるってことよりも、むしろ、すごく中身の濃い教育・訓練を受けられることを重視したい」 とか、
  • 「教育・訓練を受けた『後』が大事なのね」 とか。

私的な意見、社会の立場からの意見、志の高い意見、低い意見、いろいろ出てきて当然。 でも「高学歴の海賊」になるのはイヤだなぁ、と個人的には思う。 もしかしたら自分は海賊ではないか?と自らに問うてみよう。

まぁ、じっくり考えてみましょう。 また、中身のある教育・訓練とは何かについては、私も、日々必死で考えてますが、なかなか難しい問題。 独りよがりの研修の提供は簡単なんだけど、今日書いたような社会における生産性や、外人さんとの競争・分配といった問題がついてまわるから。

なお、本日のブログのアイデアは、池田信夫先生のブログから。
池田信夫 blog : 就職協定を廃止せよ
大学というバブル – アゴラ

パクリと呼ばないでね。 一応 Pritchett さんの論文はちゃんと読んだんだから(笑)