小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

より良い薬を、より遅く

老いも若きも業界人(産官学すべて)みんな、好きだよね、この思考停止キャッチフレーズ。

「より良い薬を、より早く、国民に! (笑)」

・・・ あ、ごめんなさい。 (笑)というのは通常は付いてないんだっけ(笑)

医薬品の開発とは、医薬品の使い方の情報を増やしていくこと。 だから、皆さんの大好きなこの思考停止キャッチフレーズに従って、「より良い薬をより早く」承認した結果、国民の健康に悪影響が生じることは大いにありうるわけだ。 だって、製薬企業って、製造販売承認されたら、システマティックな高品質データ収集活動である治験を止めてしまうもんね。 

「薬を承認する」という決定は、「治験を止めてしまう・止めさせる」という決定でもある。 私の 47 年間の人生において、日本の審査官の口から、その認識が語られるのを聴いたことがないのは甚だ不安である。 大丈夫だろうか?

薬を承認しないまま、データを集中的に蓄積してもらった方が社会のためになる状況なんて、山ほど想定できる。

むろん、すべての新薬が既存薬よりも無条件に(どんな使い方をしても、すべての患者に対して)優れているのならば、新薬は早く承認された方が良いに決まっている。 しかし、現実にはそんな夢のように理想的なことが起きるわけがない。 Pareto superior movement (No free lunch という別の表現の方が分かり易いかな)なんてものが、その辺りにゴロゴロ落ちているようなら、僕ら人類はとっくにもっと幸せになってるはずだ。

新しいお薬が登場したとしても、実際には、ある集団にはこの新しい薬がよくて、別の集団にはあの古い薬の方が良い、というのが普通である。 臨床試験によってそうした使い方の情報を得て、その結果、仮に、新薬が既存薬より総体的には劣っていても(例えば全患者平均では有効率が劣っていても)、一部の患者で既存薬よりも良ければ、使い方次第で、対象集団における健康の量を改善できる。 それが情報(使い方)の価値だ。

このあたり、ちゃんと勉強したい人たちは、こういう論文を読んでね。 

Griffin SC, Claxton KP, Palmer SJ, Sculpher MJ.
Dangerous omissions: The consequences of ignoring decision uncertainty. Health Economics 2011; 20(2): 212-224.

いわゆる自然科学系の方々で、サル的なヒトのやっている研究や社会科学をナメきっている方々(「私は医学・薬学の専門家だから、お前らのやってる研究もどきなんぞ、勉強せずとも簡単に理解できるわい!」 とふんぞり返っている方々)についでに言っておくと、この手の社会科学系の論文をちゃんと理解しようと思ったら、確率論の基礎は当然必要ですよ(ルベーグ積分までは不要だけど)。 経済学も。 いきなり論文を読み始めると、訳がわからなくて3分で嫌になると思います。 余計なお世話かね。

こういう理論・理屈をきちんと学びたければ、いつでもコンタクトしてください。 サル的な人がいる大学院の今年の入試は終わったけど、いつでも相談に乗りますから。 勉強は始めたいときに始めれば良いのです。

神様、新薬の承認に携わっている業界人たちが、「より早く」、こういう懸念をきちんとした科学の言葉で語れる次世代のプロになれますように ・・・ 私の目の黒いうちは無理だろうなぁ。 かといって「じゃあ今すぐ目を白くしてやるよ」と言われると困るけど。

(追記) YoshiyukiOhno 先生(薬のプロ)から、この記事に対しての tweetをもらったので、載せておきます。 いいなぁ、薬剤易学師っていう表現。 世の中、薬剤易学師のおっさん・おばさんだらけ。

良い薬の一つの大きな条件は判断できるための情報量が多いことだと思います。その情報がないのに良いかどうかわかるのは薬剤易学師(神の領域)