小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

ネタがなくても更新する自分をほめたい

皆さん、夏休み楽しんでますか? 楽しいというよりは、苦しい夏ですね。 暑い。 朝、ターミナル駅へ歩いて向かうだけで、魂が半分くらい抜けてしまう。 当然、日中はブログなんか書ける状態じゃないのである。 皆さんも理屈っぽいブログなんか読む気力もないだろうから、更新する必要もないよね。 じゃ、またね

 ・・・

と言いたいところなのだが、多くの大学の教員と同様に、サル的なヒトは実は夏休み中も仕事はしているのである。 社会人学生の研究 (副作用に関する研究) の仕上げで、一般化線型モデルでオフセット項を入れ、かつ、クロスで階層ランダム効果を入れた分析モデルをいぢくりまわしているのである。 ああでもない、こうでもない、ムヒヒ、エヘヘ ・・・ と至福の時間を楽しんでいるのである。 まぁ有り体に言って、ちょっと変態 変人である。

考え過ぎて、頭がオーバーヒートしているので、ブログを書いてクールダウンしてるわけなのだ。 でもネタがないぞ(笑)

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唐突なのだが、不謹慎な顔ってあるよね。 そう、不謹慎な顔である。 本人はすごく立派な方で、素晴らしい人柄・知性の持ち主だったりするわけだが、いかんせん顔が状況にフィットしない。 そういうお顔。

週一回、フジテレビの特ダネ!にコメンテーターとして登場する産婦人科医の宋 美玄 (そん みひょん) 先生を見ていて、いつもそう思う。 そのスジでは有名な性科学者でもある。
宋美玄(そんみひょん)オフィシャルサイト|mihyonsong official site|

宋先生って、顔の基本構造が 「笑顔」 なのである。 というか、笑った顔しかできない(ように見える)。 だから、「土石流による生き埋め事故」 だの 「航空機墜落事故」 だの 「一家惨殺事件」 だのという悲惨なニュースの後に司会の小倉さんからコメントを求められると、ちょっと気の毒なことになる。 だって顔の作りが不謹慎なんだもの。

本人も自覚しているようにお見受けする。 そういう悲惨なニュースの時には、キッと眉間に皺を寄せておもむろにコメントし始めるのだが、話しているうちにだんだん地金が出てきて、最後は自然に笑顔がこぼれてしまうのだ。 「あいやー、宋センセ、アカンよ。 殺人犯に笑顔でコメントしてまっせ」 と忠告したくなる。

でもね、私はこの女医さんの不謹慎な 「笑顔」 が実は結構好きなのだ。 将来、ガンやなんかの重い病気に罹ることがあれば、こういう先生に告知してもらいたいなぁ、と思う。 死にそうな病気になったときに、深刻な顔をした辛気臭い医師に 「あなた、ガンの可能性がありますよ」 と言われるよりも、宋先生のような方に笑顔で 「あー、ガンですよぉ。 大変ですねぇ (笑顔))」 と言われた方が、心の切り替えがうまくいくような気がするのだ。 少なくとも私はそうだ。 重病じゃなくても同様ですね。 お医者さんの御苦労は承知の上で、それでもお医者さんには笑顔でいてもらいたい。 不謹慎ジョートーですぜ。

・・・ ところで自分の顔は? と問われれば 「動物園以外では、あらゆる状況に不謹慎な顔だ」 と鏡を前にしていつも思う。

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8月9日の田上 富久 長崎市長の平和宣言は実に素晴らしかった。 全文はこちらをご覧ください → http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/

特に、この部分。 我々は何をやっているんだろう、とあらためて情けなく思う。 外人(一部の米国人を除く)は 「ねぇ日本の皆さん、これって悪い冗談だよね? まさか本気じゃないよね?」 と尋ねたくなるだろうなぁ。
 

日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。

 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。 南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。

 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。 人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。 これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

原理原則よりも、目先の局所的な小理屈が破綻しないことを優先するのが、残念な国ニッポンのお家芸だ。 ここでは 「同盟国の米国が持っている核兵器は 『良い核兵器(笑)』 だから、使用を否定してはいけないよね」 という小理屈らしい。 理屈の継ぎ足し、継ぎ足し ・・・で、局所的には理屈がつながっているように見えるが(薬事法の芸術的な解釈がその例だ)、中心にあるべき理念がすっぽり抜けて落ちているという驚くべき構図を、我々はいろんなところで見てきたぞ。 新薬の承認審査、薬害騒ぎ、今大騒ぎしている臨床研究のあり方。 繰り返し、繰り返し、デジャブのように。

目先の理屈の整合性の追求は、虚しい。 人間の尊厳や社会のあり方を議論をしているときには、政治家や役人が作った条約や法律の小理屈の体系なんて頼りになるわけがなかろう、そんなもの。 そういう大きな問題を議論する場合には、小理屈の整合性ではなく、まずは原則を語らねばならないのだ。

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さて、今年もあちらの世界からご先祖様御一行がお見えになる季節だ。 ・・・ 実際に見えたらちょっとイヤだけど。 縄文時代とか、氷河期のご先祖様も来るのであろうか。 氷河期のご先祖様には現在の暑さは堪えるだろうなぁ。 まぁいいや。 迎え火焚いて、お待ちしましょう。