小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

危険な妄想

以前、夏休み (というかお盆) に必ず読む本を何冊か紹介した。
お盆に読む本 - 小野俊介 サル的日記

かなり偏ったリストで、これから国政に出馬予定の元都知事の閣下に誉めてもらえそうな品揃えだ(笑)。 これらに加えて、もう一冊、夏になると必ず読み返す本があったのを思い出した。 今年も読みました。 超メジャーなベタな一冊。 最近の文庫版は、ほんの少し表紙が変わっている。 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

一人でボーっと昔のことを考えていると、「昔のことを懐かしむ」要素がギュウギュウに詰まったこの本を思い出す。 でも現実の僕の青春時代は、この本の 「僕」 や 「鼠」 のようにカッコ良くはなかったなぁ。 ビーチボーイズの LP (死語?) とか、そういうおしゃれな言葉は出てこない。 ハンバーガーを初めて食べたのが高校2年生の春 (地方都市にはマクドナルドなど無い)。 喫茶店でコーヒーを初めて飲んだのが高校3年生の夏。 フジテレビ系列は岩手では当時は放送されていなかった。 大学生になって上京し、伊豆での新歓合宿に向かうバスの中で、上級生が 「では皆さんにクイズを出しても イイかな?」 と尋ねた時に、まわりの皆が声をそろえて 「いいとも!」 と叫んだのを見て、都会人はみんな妙な宗教かなんかに入っているんだろうか? と不審に思ったものである。

さて、仕事がらみの本を読むスピードは年々遅くなるのに、こういう本は一瞬にして読めてしまう。

空中ブランコ (文春文庫)

空中ブランコ (文春文庫)

伊良部一郎医師の大活躍するシリーズもの。 このシリーズに登場するのはすべて神経科系の疾患を抱えた患者。 特にうつ病の疑いがあるヒトにお勧めの、爆笑シリーズである。 本書「空中ブランコ」の中での一番のお勧めは 「義父のヅラ」。 出世コースに乗った大学病院の真面目な医師が、義父 (実力者の医学部教授) のカツラを、自分がカパっと外してしまうのではないか、という妄想と恐れに取りつかれている話である。 強迫性障害というヤツですね。 触ってはいけない、触ってはいけない、と思っているうちに、手が自然に義父の頭の方向に伸びて・・・ で、結局どうなるのかは、読んでのお楽しみ。 

私がうつ病かどうかはともかくとして、自分に妄想・空想癖があるかと聞かれたら、力強く Yes と断言できる。 例えば、よくあるのは、シーンとした静かな式典で 「今、誰かが大声をあげて壇上に駆け上がったら、何が起きるんだろう?」 などと考える妄想。 警備のヒトはいないから、あの司会者が暴漢を取り押さえようとするのかなぁ。 でも、暴漢はあの壇上のマイクで、取り押さえにきた司会者の頭をコツンコツンと殴ったりするのだろう。 昔、祝賀会か何で、酔っぱらった野坂昭如が壇上で挨拶中の大島渚に殴りかかって、怒った大島渚が、オンになったままのマイクで野坂昭如の頭を殴り返したもんだから、「ポコ ポコ ・・・」という音が会場に響き渡った ・・・ 夢のように素晴らしいそんな事件があった。 それと同じ音が出るのかなぁ。 ポコ、ポコって乾いた音がするんだよねぇ。 楽しいなぁ、愉快だなぁ フフフ ・・・。

・・・ 荘厳な式典の最中、サル的な人がなぜかニヤニヤしているときには、そういう想像上のシーンを思い浮かべていたりするわけである。 いや、正直スマン。 でも頭の中の話だから、不謹慎と言われてもなぁ。

こういう妄想・空想、皆さんも思い浮かべてるんでしょ、ホントは? 口に出さないだけで、私の妄想よりも怪しい妄想を、仕事中や電車の中で思い浮かべている人がたくさんいるだろうと推察する。 例えば、今朝ラジオを聴いてたら、毎晩、夕ご飯を作り終えるたびに、ヨネスケが今我が家の夕食を見に来たらどう答えるかを妄想している主婦がいて、大笑い(注)。 良いねぇ、妄想。 ビバ、妄想!

(注) ちなみに、この主婦は、気合を入れた料理のときに、「あら、やだ、こんなみすぼらしい夕ご飯なんてテレビじゃ見せられないわよー」などと答える姿を妄想するそうである。

子供の頃は、みんな普通に一日に2時間くらいは、男の子は、自分が仮面ライダーになったり、ウルトラマンになったり、マイティジャックの操縦士になったりしてませんでしたか? 女の子だと、ヒミツのアッコちゃんやキャンディス・ホワイト・アードレー(懐かしいなぁ)あたり。 大人になると、いつの間にかそういう妄想をしなくなる。 

自慢ではないが、私は大人になってからも、自分自身がデューク東郷 (ゴルゴ13) や、剣客商売の秋山小兵衛や、ブレードランナーデッカード (ハリソンフォードの役ね) の気分になりきってしまうことが、しばしばある。 寝る前とか。 感情移入しすぎて、涙が出たりして。 映画見た後なんかは100%主人公になりきってしまうのが当たり前だ。 高倉健主演のヤクザ映画では、映画館から出てくるすべてのおっさんが 「自称健さん」 になっているという、アレですね。 不器用ですから。 ターミネーター(1985)を見終わった後に、主人公 (人間) の方ではなく、ターミネーター (T-800) の方に心身ともになりきってしまった過去の記憶もよみがえってきた(笑) セカチュウを大阪の本屋で立ち読みしていて、あやうく本屋で号泣しそうになったこともあったっけ。

こうした感情移入ができるかどうかが、「お話」を楽しめるかどうか、つまり読書好き・映画好きか、そうでないかを分ける大きな境目ですね。 あるいは、「つまらない大人」というカテゴリーに括られるかどうかの境目。 友達になれるかどうかの境目。

お子様、上等。