風邪がなかなか抜けない。 咳が止まらないので、隔離状態が続く。 さらに週末は持病の低血圧がサル的なヒトを襲うのである。 週末、血圧を測ると、上が100を切っていることが多い。 「おおっ、こりゃまた身体が半分あの世に行ってるぞ。 このまま順調にいけば労せずして即身成仏できるわ。 真言密教は学んでないけどな(笑)」 などとギャグを飛ばして、家人に睨まれる。 うつっぽいわ、血圧が半分死にかけている値を示すわ、にもかかわらずそれをギャグにしまくるわ 、で、周囲の人間にはなんとも傍迷惑な存在なのだ。 すまんすまん。
しかし、40代後半男性でこの血圧って、どうよ。 頭がボーとして、何もする気が起きない。 無理して身体を動かすと、だんだん頭が痛くなってくる。 体中の血管が緩みまくっている感じ。 同じ悩みを抱えている方がいたらアドバイスください。
体調最悪なので、ゴロゴロしながら、あの森口先生が 「ロンリー・チャップリン」 をカラオケ屋でシャウトしている週刊誌の記事を読む。 このおじさん、平気で自分のゴミだらけの部屋に雑誌記者を上げて、写真を撮らせてる。 かわいそうな人。 実はこの森口氏に何から何まで (部屋がゴミ屋敷のところまで) そっくりな人を他にも知っている。 何か共通の、気の毒な背景があるんだろうと思う。
ボストンで同じアパートに住んでいた友人からお手紙を頂いた。 ボストン暮らしはもう20年近く前になるのか。 「ナオコーーー! どこ行くのよー!」と叫びながら、怖いもの知らずにトコトコ駆けていく小さい娘を追いかける20年前の姿を思い出す。 一緒に近所の丘にソリ遊びしに行きましたね。 Halloween のパーティも。 その娘さんも、うちの娘も、もう大学生。 感慨は少なからず、ある。
この時期になると、ボストンでの Thanksgiving (感謝祭。11月の第4木曜日。この週は大学は休み) を思い出す。 11月もその頃になると、完全に冬。 日が短くなり、空はたいてい一日中曇っており、みぞれ混じりの冷たい雨が降ることも多い。 もともとは Thanksgiving がそんな重要な行事なのだとは知らなかった。 その前の週の金曜日の夕方、大学前の路上にデカいバスが何台も止まっているので、友人に 「あれは何だ?」 と聴いたら、「学生があの長距離バスに乗って家に帰るんだよ They are going home.」 日本の盆・正月の帰省と同じですね。 でも、雰囲気や風情はだいぶ違う。 冬に向かう季節だから。
Thanksgiving には、知り合いの Boston 大学の教授一家が、帰省先のないかわいそうな留学生たち (我が家を含む。) を 「農家」 と呼ぶ自宅に招いてくれた。 奥さんが教授で、旦那さんが農家を切り盛りしている。 小さな子供を含む十二、三人がにぎやかに七面鳥のお腹に詰め物をしたり、グレイビーソース(gravy。 肉汁ソース。 あまりおいしくないと思う) やらクランベリーソースやらを作ったり。 足元にはアメリカ人家庭には定番、黒レトリバーのJazz。 かわいいヤツで、肉球たっぷり触らせてくれたっけ。 実は、尻尾を誰かに踏まれて骨折しちゃったんだけど。
家の外に出て森の中に入る。 農家だから、家のすぐ裏は森である。 森の中には牧場が広がっているが、この時期は馬も牛も戸外にはいない。 灰色の空。 凍りつくような空気が肌を刺す。 周囲には誰もいない。 瞬間、頭の中が空っぽになる。 「どうして自分は今ここにいるのだろう?」 自分の人生をほんのわずかな間、反復してみる。 そして、「10年後、20年後に、僕はどこにいるのだろう?」 と思う。 まったく見当がつかない。 樹木の中に立ち尽くす。
「Shawn, where are you ? It's freezing out there. 」 という声で我にかえる。 頬も手足も凍りついていることに気づく。
20 年後の自分は、ここにいる。 感冒ウィルスにやられて鼻水を垂らしながら、老眼鏡のお店を探してたりする。 当時と何が変わって、何が変わっていないのかは、今の自分にはわからない。 当時の自分は現在の自分でもあるから。 変化に気づき、それを語れるのは、New England の森で震えていたあの頃の自分だけ。 でも、あの頃の自分が 20 年後の自分の姿を知るすべはない。
こんなふうに人生は進んでいくわけだ。 Life goes on. このまま順調にいけば即身成仏、を目指しつつ(笑)
「今をときめく太政大臣・兼家の首から下が行方不明に!? 道満の仲介で鬼との双六勝負に挑んだ兼家だが・・・。 晴明と博雅が、都の怪異を解き明かす」 ムッキー! 平安の鬼か? 鬼の仕業なのか? いつもながらワクワクするぞ!! 早く買ってきて読まねば。