小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

オールジャパンのいかがわしさ

ニュースステーションで、盲導犬の特集をやっていた。 盲導犬の育成は、基本的に「県」の事業らしいが、予算・人員ともに全然足りていないことがよくわかった。 街中で募金やってる時には協力しましょう。

しかし、かわいいなぁ、盲導犬ワンコ。 テレビを見ているだけで胸が切なくなる。 街中で盲導犬は時々見かけるし、電車にも乗ってくることがあるが、仕事中の彼らにはむろん触っちゃいけないわけである。 でも、触りたくなる。 無茶苦茶触りたい。 触っちゃいかん。 ムッキー ! ・・・ といつも葛藤しますよね。 あなたもそうでしょ? 

1歳まで子犬を育てる里親制度もある。 しかし、最高にかわいい時期を一緒に過ごしてそこでお別れ、なんて耐えられんよなぁ。 妄想しがちなこのサル的な人は、番組を見ながら子犬とのお別れのシーンが頭に浮かび、勝手に悲しい気持ちになってしまった。 夕飯のつみれ汁を食べながら、テレビの前で嗚咽をこらえているところを家人に見られて、呆れられてしまう。 俺はアホかもしれん。 犬を一度も飼ったことがないのに(笑)

さて、先週末は医科研でシンポジウムに参加。 いろいろと楽しい話が聞けたが、特に感じ入ったのは福島の阿部光裕(福島県常圓寺住職)和尚のお話。 「人の苦しみに寄り添うのが僧職の仕事」の文字どおりの実践として、近隣の除染作業で生じた行き場のない汚染土を、お寺の敷地に仮置きさせているとのこと。 うーむ。 「人の苦しみに寄り添う」か。 まずは自分にできること、『この業界の皆さんの「雨降りの時の友だち」になる』を実践しようと心に誓う。

シンポジウムでは「オールジャパン」という言葉について、思うところを述べさせてもらった。 最近、医療イノベーションを語る際に、至るところで出てくる「オールジャパン」。 でもね、ちょっと危ないんですよ、この言葉。 新薬開発や医療技術の議論に常に存在しているトレードオフを隠してしまい、私たちを思考停止に導く危険な言葉である。

上の三匹のおサルさん、それぞれに「大事だと思っていること」は違うのに、言っていることは同じだったりする。 それぞれのおサルさんの大事だと思うことを達成しようとすると、通常は大喧嘩になるのはわかりますよね。 例えば ・・・ 

  • 日本の会社にグローバル競争の中でタフに生き延びてもらいたいのなら、アメリカのニュージャージーあたりに拠点を全部移してもらって、日本をうまく脱出した企業に100億円ほど補助金を付けるのが、効率的です。 日本人の税金でね。
  • 日本(という場)での研究活動レベルを高めるのなら、お金持ちの強い外資系企業と組むのが良いですね。 だって、彼らは外国の政府・研究所・病院とコネがあるし、研究成果を欧米のでかいマーケットで売るのも上手だし。 また、日本の皆保険制度なんか壊しちゃって、もっと自由勝手に臨床研究ができるようにすれば良いよね。
  • 日本でのドラッグラグをゼロにして、患者を(短期的に)幸せにするには、厚労省とPMDAを廃止して、日本企業をみんな潰して、日本の臨床研究を全て壊滅させれば良いのですよ。 そうなれば外国のお薬はすぐに日本に入ってくるようになります。

ビジネスと研究活動と医療の間に生じうるトレードオフの本質は、おおむねこんな感じだ。 あちらを立てれば、こちらが立たず。 目をそらしたって、トレードオフが消えて無くなるわけじゃない。 「オールジャパン」という魔法の言葉を唱えたところで、何も変わらない。 みんなで苦労しながら、それぞれの問題(トレードオフ)を直視し、バカ正直に考えていくしかないのである。 魔法の言葉で一気に解決できるような顔をするのは、現実逃避か、タチの悪いごまかしだ。

ところで、「オールジャパン」という言葉、70年ほど前にも聴いたことがあるぞ (お前は何歳なんだよ(笑)) ・・・ と思ったら、これだった。

「進め一億火の玉だ 大政翼賛会 作詞・作曲」

なかなか勇ましい曲で素晴らしいのだが、しかし、戦う前から一億火の玉になってはいけない気もする。 「オールジャパン」の負け戦体質は、100年や 200年では変わらないものかもしれんなぁ。