小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

ブログが更新されなくなる日

はい、今年もちゃんと届きましたよ。 雇用主が法的な義務をきちんと果たしてくれていることがわかって、ほっと一安心だ。

「この手紙は、秋の定期健康診断でお書きいただいた問診票を拝見して、

  • うつ症状などの精神衛生について心配される方
  • 慢性疲労等が心配される方

にお送りしています。 是非、産業医面談を受けていただくように、お勧めいたします。 (以下略)」

雇用主の人、ありがとう。 それはさておき、この文章って日本語の欠点がよくわかるなぁ。 「心配される」って何だ(笑) 医師が個人的に心配してるのか、雇用主が心配しているのか、医学の常識ってもの(?)が心配してくれてるのか、それとも世間様(笑)が心配してくれているのか、が全くわからん。 PMDAの審査報告書の 「ベネフィットに比して、リスクは許容しうると考えられる」 のいい加減さ(無意味さ)と同じだ。 

こういう文章を書く人たちは、「私の言うこと = 世間様の言うことだ! 頭が高い! 控えおろう!」 と水戸黄門風に漠然と思っているんだろうけどね。 変なんですよ、それって。 まずは何でもいいから、社会選択論の本を一冊ちゃんと読んでください。 その上で 「先輩を含め、何十年たっても 『自分たちが変だ』 と気付かないのはなぜか?」 を真剣に考えるように。 その試みは、たぶん本当のレギュラトリーサイエンス (このブログで初めてカタカナを使ったぞ) になりえます。

本来、社会にとって価値のある政策科学というものは、「おいおい、この政策はダメだってことが定量的に示されたぜ! おもしろいなぁ!」という発見や、 「これで、ダメな規制が改善されるぞ。 よかったなぁ!」 という善意が原動力になるはずなのに、「れぎゅらとりーさいえんす」業界の近辺で、そういう新発見をした!と大喜びしている人は皆無である。 

発表できるのは 「新薬開発はああやればいい、こうやればいい」 という元気なだけが取り柄の青年の主張だったり、比較対照群(外国との比較ね)なしに 「日本の治験の数は増えてます」 という意味のない記述だったり。 「現行の審査のルールは、効率において問題がありますよ」 「この審査ガイドラインのせいで、国民の厚生が減少してますね」 なんていう研究発表は、したくてもできないのかなぁ。 学問の自由を信じておられる方がいたら、苦しい思いをしていることだろうと推察する。 ちなみに、この状況って、「れぎゅらとりーさいえんす」 と称するものが、カール・ポパーのいう似非科学であることの証明になっている。(注 1) 

(注 1) 似非科学 = 決して間違いようのない主張から成り立つ体系。

若い人たち、なんとかしましょうよ。 自分たち自身の欠陥を、一生懸命探り出して、社会に公表して、社会の仲間と一緒になって解決法を考えるのがスジだよね。 古いおぢさん・おばさんたちは、頭が固くて、かつ、古いものを壊す勇気をとうの昔に失っていて、もうどうにもならないんだ。 

・・・・・

将棋の米長邦雄さんが亡くなった。 寂しい。 20代、30代では経験のない寂寞感である。

サル的なヒトは、将棋が好きで、時々息子や友人と指す。 小学生の頃からだから、もう40年ほどか。 大学生の頃は結構強かったのだが(アマチュア二段くらいはあったと思う)、最近は弱くなった。 無料でダウンロードできる Bonanza に勝ったり負けたり(注 2)。

(注 2) 数年前に渡辺竜王と対戦したバージョンではない。 もっと弱いヤツ。

大学に入学したとき、将棋部に入ろうと思って、将棋部の先輩と指してもらったら、ポンポンと二局続けて勝って、 「オレは天才かもしれない」 と思ったのも束の間、その後、私と同じく入部希望の新入生(灘高出身)に二局いいところなく吹っ飛ばされて、入部する気が失せてしまった。 今にして思えば、入部者を増やすために、先輩は手を抜いてくれていたんだよなぁ(苦笑)

寂しいのは、米長さんとの別れ方だ。

米長さんは、60代後半という高齢なのに、 twitter、ブログをほぼ毎日更新していたのである。 皮肉の利いた辛らつなコメントが楽しめるので、ここ10年ほどずっとフォローしていたが、今月上旬、急に更新が途絶えた。 理由はわかっていた。 ガンが進行していて、ガリガリに痩せた姿を新聞で見せていたから、もう危ないのだろうなぁ、と。 しかし、いざ更新が途絶えると、とても気になる。 気になって仕方がない。 生活のリズムに組み込まれていた一ページが唐突に失われた感じ。 過去のエントリーは全てそこに残っているのに、未来のエントリーは、たぶん、無い。 心にぽっかりと穴が開いた、という喩えがぴったり。 小さな穴なのかもしれないけど、心が痛い。

これから我々は、こういう別れ方をすることが増えるのだろうね。 ブログや twitter で、誰かが死の床にあることを知る。 それを、同時進行で、感じる。

こうして更新した記事を読みに来てくださっているサル的日記の読者の皆さん (有難いことに、定期読者が 1,100 人ほどになりました)も、ある日突然、サル的日記の更新が止まって、「・・・ん? どうしたんだ、あのサルは?」 と皆さんが怪訝に思っているうちに、実はサル的なヒトがこの世から失踪してしまっていた、なんてことが起こる可能性は十分にある。 というか、今後このブログを50年くらい続けていたら、100%の確率でそれは起きるわけである(笑) あいやー。(注 3) 

(注 3) ・・・ いや、そうは言いつつも、50年間もは頑張る気はさすがにないから。 さすがにそれは無い。

インターネットの海に、主を失った後も漂い続ける、更新が止まった 「サル的日記」。 情報の世界には、死者も生者もないもんね。 そういう将来の現実は受け容れるしかない。

が、しかし、私は、自分がこの世から失踪した後の皆さんの心に、より大きな喪失感を残せるよう、がんばってブログを書こうと思う。 前向きなんだか後ろ向きなんだかわけがわからない、壮大な決意表明である。 同時代を生きるということは、こういうことですよね、みんな。 頑張ろうね、同時代人として。

米長さんのホームページ・ブログは、これまでと何も変わらず、そこにある。
Yonenaga.net

米長永世棋聖、ほんとにありがとう。 私は、子供のころから、あなたの棋譜と言動で何十年も楽しませてもらいました。 さようなら。

・・・ あれ、涙が止まらないや