小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

危険なパワーポイント

またもマイク〇ソフトネタで申し訳ない。 今日はあの思考停止・時間つぶしソフトのパワーポイントについて。

あれって危険ですよね。 前にも書いたが、現在のビジネスシーンには 「パワーポイントはプレゼンテーションのためのツールである」というよりも、「パワーポイントを使うためにプレゼンテーションの機会がある」 といった本末転倒の雰囲気がある。 大学でも何かの発表会があると、社会人・学生ともに、みんな一生懸命になって、なんとも綺麗な、手の込んだプレゼンテーションを作ってくれるのだが、そういうプレゼンテーションが2分以上頭に残ったためしがない(サル的な人調べ。N=1)。

記憶に残るのは 「なんだか格好よいスライドがたくさんあって、彼女の話は素晴らしかったような気がするよ」 という気分だけだったりする。

だから最近では 「ビジーで手の込んだスライドは良くない。 スライドの情報量を減らして、分かり易いプレゼンをしよう!」 などという小賢しい知恵者が出現。 ワビサビを効かした簡素なスライドで、お客さんに感銘を与えようと企てたり。 笑止。 こういう知恵者は、パワーポイント病に世の中の人々が冒された異常な時代だからこそ重宝される時代のあだ花のようなものだ。

あのね、プレゼンにパワポを必ず使わなきゃいけないなんていう発想がおかしいのよ、あんた。

問題は、しかし、プレゼンを作る側ではなくプレゼンを聴く側にもある。 ほとんどの多くの聴衆って、そのプレゼンを聴くと称して会場で時間をつぶして、仕事をしたというアリバイを作って、大画面に映し出されたスライドをボーっと眺めて、映しだされるスライドが手元の資料集に載っているかどうかを時々確認すれば良いんですよね。 さらに、気の利いたギャグで時々演者に笑わせてもらえれば、言うことなし。 これって、テレビや映画を見ているときの姿勢とほとんど同じであることにお気づきでしょうか。 そうした安楽な受け身の姿勢は、科学や学問の基本姿勢、すなわち、「こいつの言っていることは何かおかしいんじゃないか?」 と常に疑ってかかる姿勢とは対極にあるのですよ。

パワポのプレゼンを有難がって眺めている方々や、逆に「パワポの説明が分かりにくい」 とケチばかりつけている方々のほとんどは、自分で教科書を読んだり、原著論文に当たったりはしないんだよね。 「俺にわかるように説明しろ!(=分かり易いパワポのスライドを作れ!)」 「私には君の説明(=君のスライド)は理解できない!」 って開き直って平然としてる人たちは、往々にして 「あなたがパワポで上手に説明してくれさえすれば、私のような有能な人間にはすべてが理解できるはずだ」 という誤った信念を持っている。 なんという大それた信念だ(笑) 科学や学問の難解さ、深遠さ、精妙さ、そして学問に対する畏れをすっかり忘れ去ってしまったらしい。 パワポ病の蔓延のせいで、アカデミアにもそういう人たちがゾンビのように拡大再生産されて増えているのが恐ろしい。 

一部の企業のトップ(facebook でしたっけ? Apple でしたっけ?)は、早くからパワポ病の危険を知って、パワポの使用を極力控えようとしてきたらしい (ググってください。 いろいろな例が出てきます)。 当然と言えば当然だ。 今、問題が深刻なのは、学会や講演や講義で思考停止して無批判にパワポを使っている(一部の)アカデミアの住人かもしれん。 うーむ。

先週、私も研究室に所属する学生に 「パワポをできるだけ使わないで、ワードで資料作ってくださいね。 分析モデルも数式でちゃんと説明してね。 数式エディタなど使わずに、手書きでいいからね」 とのお触れを出したが、どうなることやら。

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三連休は学生の論文のチェックと、ちょっとばかりの息抜きと。「プロメテウス」見ました。

リドリー・スコット監督と言えば、むろんあの「エイリアン」、あの「ブレードランナー」の監督だが、本作はそうした過去の名作の世界観がごった煮になったような感じであった。 主人公の女性の夢が読み取られるシーンは、明らかにブレードランナーのあのユニコーンのシーン(あるいはセピア色の作られた記憶のシーン)と雰囲気がそっくりである。 冒頭のシーンの意味がわからんかったが、あれは太古の地球だったのね。 本作には 「ストーリーラインが荒すぎる」 「布石が回収されていない」 といった批判が多いが、私には現実と夢(悪夢だったりするが)の曖昧な境界で心を遊ばせてくれるなかなかの作品に思えましたよ。