小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

東京 車内三話

今日は電車の中の出来事、三題。 すべて本日の電車の中で私が実際に体験した出来事である。

第一話。

朝の9時ごろ。 いつものように地下鉄半蔵門線に乗っていたら、斜め向かいに座っている髪を金色に染めたおねいさん (推定年齢29歳) が入念にお化粧をしていた。 座っているのは優先席(笑)。 まぁ最近では電車内でおねいさんが化粧をするのを非常識と怒り出す雰囲気でもなくなったよね。 せいぜいが 「またやってるよ ・・・ 」 という呆れた視線を向ける程度。 ラッシュアワーの時間帯はちょっと過ぎて、車内は中程度の混み方である。 サル的なヒトも、「ま、おねいさんと目を合わさんようにするか」 くらいの感じであった。 が、次の瞬間、自分の目を疑う出来事が起きたのである。

なんと、そのおねいさん、やおらバッグの中からライターを取り出し、ちょっと周囲をキョロキョロと見渡した後、シュボッと着火!! そして、まつ毛をぎゅうぎゅうするハサミのような器具 (ビューラーと呼ぶらしいな) をあぶり始めたのである。  あいやー、なんばしよっとか、このオナゴは。

ビューラーを数秒あぶったのち、何事もなかったかのようにライターをバッグに戻し、まつ毛をぎゅうぎゅう。

私を含む周囲のおっさんたちは、目が点。

そんなおっさんたちをあざ笑うかのように、おねいさんは再びバッグからライターを取り出して、シュボッと再着火。  すっかり虚を突かれた周囲のおっさんたちは、その瞬間 「あぁ、そうだった! 人間ってヤツは目が二個あるんだった。 おぢさん、すっかり一本取られたなぁ。 あはは ・・」 と、妙に納得したりしたのであった ・・・ いや、そこは納得している場合じゃないだろ、自分。

周囲のおぢさんたちの心を嵐のようにかき乱しているのを知ってか知らずか、金髪のおねいさんは反対側のまつ毛をぎゅうぎゅう。 そしておねいさんは、お目目ぱっちりになって、すっかりキレイなお顔になりましたとさ。 メデタシメデタシ。

・・・ これって、しかし、犯罪に近いよな? おねいさんが着火時にキョロキョロしてたのは、駅員さんが近くにいるかどうかを確認してたんだ、きっと。 うーむ。

第二話。

帰りの半蔵門線。 某社で講義をしてその後直帰したので、夕方6時過ぎの混雑した時間帯である。 私は運よく一番端っこの席に座っていたのだが、途中駅でおばあさんと中年の連れの女性が乗り込んできた。 向かいの席の前に立つ。 腰が少し曲がった白髪のおばあさんは推定70歳くらい。 向かいの座席の奴ら、誰も席を譲らない。 「そうかそうか、おまいらも会社でわけのわからん上司にくだらない嫌味なんぞを言われて、心も身体も疲れ果てているんだよな。 きっとそうだよな、おい!」 とイライラしながら心の中で呟きつつ、「おばあさん、こっちの席にどうぞ」 とサル的なヒトは声をかけたのであった。

そしたら、そのおばあさん、「ありがとうございます」 と私の方を向いて、「あのー、私ではなくて、こちらの女性を座らせてもよろしいでしょうか? 病院からの帰りで、フラフラで、倒れそうなんです」 と言う。 連れの女性は確かに相当に青白い顔をしている。 むろん私に異論はなく、「どうぞどうぞ」 と連れの女性の方に席を譲ったのだった。

で、席の横 (ドアの戸袋のところね) に立っていたら、そのおばあさんが近寄ってきて、「お疲れのところ、本当に申し訳ありません。 せめておカバンを持たせてください」 と私のデカく重たい背負いバッグを持とうとするのである。 「いやいや(汗)、そんな必要ありませんよ。 お気遣いなく」 と答えるサル的なヒト。 すると、さらにおばあさん、「昼間、汗水流して一生懸命に働いた方々を立たせて、私たちが座らせていただくなんて、本当に申し訳ありません。 申し訳ありません ・・・」 (注 1) と身体をエビのように曲げて、白髪の頭を何度も何度も下げる。

(注 1) 作り話ではない。 本当にこのとおりに言ったのである。

・・・ 電車の中で落涙したのは初めてである。

あのね、おばあさん。 都会のサラリーマンごときにそんなに頭を下げなくていいのよ。 だいたいね、都会のサラリーマンの多くは冷房の効いたオフィスでお気楽にパソコンの画面を眺めているだけですから。 汗水垂らして毎日死ぬほど働いているサラリーマンなんて、そうはいないのだから。 虚栄の市の住人気どりか、あるいは、魂の抜け殻がほとんどなんだから。 「お前もそうだろ?」 と問われれば、「そのとおりだね」 と答えるさ。

ニッポンは、哀しい国になってしまったのだなぁ。

第三話。

そして第二話の後、渋谷から乗り継いだ井の頭線の車内。 こちらも混んでいる。 サル的なヒトは今度は座らず、つり革につかまって外を見ていた。

若いお父さんが小さな男の子を連れて立っている。 小さな男の子は推定3歳。 おむつはしていないが、まだまだ赤ちゃんっぽいぞ、という感じである。

混んだ、蒸し暑い車内で立っているので、当然のように男の子がグズり始めた。 パパは、仕方ないなぁと呟きながら、よいしょっと男の子を抱っこする。 「お父さんは大変なんだよ ・・・」 と私も昔を思い出してその光景を眺めていた。

暗くなり始めた晩夏の東京を、電車は進む。 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

と、しばらくすると、抱っこされて高い位置にきたその男の子、そーーーっと右手を上の方に差し出した。 そして、つり革の丸く白いプラスチックの部分をを小さな指先でつかむと、ニンマリと満面の笑みを浮かべたのであった。 「見て! パパ、見て!」 と大喜び。

・・・ そうよ、そうなのよ。 誰だって小さいころは、オトナみたいにつり革をつかむことができたという、ただそれだけで嬉しかったのよ。 見返りも欲も無い。 ただつり革に触れられただけで、嬉しかったのである。

オトナになるって悲しいなぁ。 オトナになると、身の回りの小さな幸せを見つけられずに、イヤなことばかりが見えてしまう。 ほんとは幸せはそのあたりにたくさん転がっているのにね。

帰宅して、家人にこの話をしたら、「つり革は大人の雑菌がいっぱい付いているから、子供に触らせちゃダメなのよ。 ほんとにお父さんってダメなんだから」 と怒っていたけど(笑)、まぁそう言うなよ。 正論ばかりでは世の中息苦しいじゃないか。


そんな一日。

町のねずみは かすみを食べて 夢の端切れで ねぐらをつくる
眠りさめれば 別れは遠く 忘れ忘れの 夕野原が浮かぶ

明日は案外うまくゆくだろ 慣れてしまえば 慣れたなら
杏村から 便りが届く 昨日お前の 誕生日だったよ と