小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

勉強の夏、ニポンの夏

暑いですねぇ。 皆さんお元気ですか。

サル的なヒトは今年も意を決して、あれを持ち歩いていますよ。 お肌のシミ・そばかすが気になる中年男性の味方、日傘。 毎朝、「どうか知人に会いませんように。 軟弱野郎と思われませんように」 とお祈りしながら、駅までの炎天下の道を日傘をさして歩いているのである。 でもね、日傘ってホント涼しくて快適なのよ。 一度さしたらやめられないのよね。 フフフ ・・・ あ、あれ? 前回からのオネエ言葉がまだ治ってないわよ。 どうしたいいのかしら?

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今日はC社での無料出張講義の日である。 10回シリーズ中の9回目。 もうすぐ終了である。 目を輝かせて熱心に聞いてくれる受講生の方々がおり、とても嬉しい。 「講義を受けること」 の有り難みを感じているようにはまるで見えないうちの大学の学生たちに爪の垢を煎じて飲ませたい。

受講生の皆さん、今日のテーマ 「論理」 はいかがでしたか? 医学・薬学系の人たちって、論理学のちゃんとした講義を受ける機会はなかなかないから、新鮮だったでしょ? 分かっているようで実は分かっていないこともたくさんあることに気づいたことと思います。

ブログ読者にも講義内容をちょっとだけサービスしてやろう。 ちょっとだけだぞ。 オラ、ケチだからな。

例題1: 「すべてのヒトに薬が効く」 の否定は?
答: 「薬が効かないヒトがいる」。 ¬∀xAx ⇔ ∃x ¬Ax だからね。 「すべてのヒトに薬が効かない (∀x ¬Ax)」 は正解じゃないことに注意。

例題2: 医薬品開発や承認審査でいう 「ならば」 は、論理学でいう何に近い?

答: 双条件法、つまり iff (if and only if) でしたね。 オペレーターでいうと ←→(両矢印)。 「副作用死が出た」 ならば 「承認を取り消す」 の実例を使って、「えー、それってウソつきじゃん」 と思える場合を偽、「うん、それならウソつきじゃない」 を真として、真理表で真偽を考えたら、双条件法 (iff) の真偽のパターンがしっくりくるのでしたよね。 思い出した?

例題3: 「承認薬ならば安全である」 の否定は?
答: (承認薬)→ (安全) とは、つまり、(承認薬ではない)⋁ (安全)。 その否定だから、¬((承認薬ではない)⋁ (安全)) ⇔ ¬(承認薬ではない) ⋀ ¬(安全) ⇔ (承認薬) ⋀ (安全でない)

つまり日本語的にいうと 「承認薬なのに、安全でない」。 これが正解。

最後の例題3は論理学をちゃんと勉強したことがないと難問ですよね。 こうした論理の言葉遣いの常識を知らないで治験の総括報告書や申請資料や審査報告書を書いている業界人 (含当局) はいませんか? たくさんいるでしょ?(笑) たぶん、そういう人たちが書いている文章って、あちこちに奇妙な論理の穴が開いていると思うよ。 きちんと勉強しましょうね。 

基本からちゃんと勉強したければ、ほれ、会社の研修担当の責任者に 「小野センセに無料出張講義を頼んでください! お願いします!」 と頼んでみると良いよ。 自分で言うのもなんだが、もう15社もやったから、講義内容はムダに高度に練り上げられたものになっております。 他の大学のセンセ (注 1)・研修屋さんからは絶対に聴けない内容の講義であることは保証します。

(注 1) いや、東大でもこの講義は聴けないのだった。 こんなに楽しい内容の講義なんて、自分の大学ではまったく担当してないものな、自分。

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最近、政治がらみの本を立ち読みしてたら (白井聡さん(「永続敗戦論」 の著者)と内田樹さんの対談だったと思うが、間違ってたらゴメンなさい。 なんせ立ち読みだったもんで・・)、

「ヨーロッパなどで急成長している、「外国人を排斥せよ! 自国民・自国の会社のみが甘い汁を吸える社会にせよ!」 って叫んでる極右政党をみんな怖がってるけど、あれって要は 『我が国もニポンを目指せ!』 って言ってるだけだよ。 移民受け容れとかほぼゼロだし。 ニポンってなんと素晴らしい国なんだろうと思ってるんだろうね」

・・・ といった感じのコメントがあって、大笑い。 そうか、ニポンって極右政党あこがれの国だったんだ。 どうりで息が詰まるわけだ。 うかつにもそんなことにすら気づかずに51年間も生きてきた平成28年の夏。

大橋巨泉さんも、永六輔さんも亡くなった。 私たちの昭和文化を築いた平和主義の大先輩たちが亡くなっていくのは、とても心細い。

また今年も 「レイテ戦記」 を読み返す夏が来たやうである。

属国民主主義論

属国民主主義論

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属国といえば、たとえばICHを、いいモノ、素晴らしいモノと信じて疑わない医薬品業界人が多いのだが、どこか間抜けである。 「ICHの○○ガイドラインでは、ニポンが議論をリードした!」 などと臆面もなく自慢をしている人もいるが、この手の人たちの口から、お釈迦様の掌の上にいること自体をどう思っているかの見識が語られることは決してない。 きっと夜の居酒屋では 「日本こそがグローバル世界をリードしていくんだ!」 とか気勢を上げているんだろうけど。 ちなみに、こうした一群の人たちこそが 日本の 「失われた25年」 の責任者たちだったはずなのだが、引退する気配も宗旨替えする気配も一向にない。 「失われた50年」 コースに突入する可能性大。

アメリカ様 (正確にはアメリカ様の強欲資本主義の支持者たち) が過去数十年、世界戦略としてやってきたことに対する、当たり前で健全な疑いすら持ってないとすれば、本当に掌の上で踊っているサルである。 あるいは、そんな深い歴史認識レベルで苦悩する業界人たちはグローバル化礼賛のご時勢の中でとっくに死に絶え、今交渉に参加してるのは、「ほら、褒めておくんなせぇ、アメリカの親分。 アジア開発の段取り、親分の満足する落としどころに仕上げましたぜ。 ご褒美に親分の息のかかったグローバル団体か学会のポスト、あるいはニポン国内の天下りポストへの推薦、お願いしまっせ!」 といった江戸時代の岡っ引き程度の人たちばかりなのかも、という気がしないでもない。 属国の業界人にふさわしい振る舞いではあるのだけど。

薬価・保険収載の話になると 「あのな、若い連中は知らんだろうが、昔日米 MOSS 協議というのがあってじゃな、・・・」 という話 (アメリカ様からの対日圧力の超分かり易い歴史的事例) をいつもひっぱり出し、それに対する何の批判も、わだかまりも、自嘲も無く、それを自明の前提としてあっけらかんと議論を始める人たちも同類ですね。

情けない。

疑おう。 考えよう。 意見しよう。 そのために、学ぼう。