小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

G−POP万歳!

地震の後には戦争がやってくる。 軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。 国民をバカにして戦争にかり立てる」 by 忌野清志郎

そういえば、反戦平和主義からの心配性の質問に対して、こバカにしたような物言いで、妙にイライラして答弁をする政治家が国会議事堂あたりにいる。 訳のわからん大人の事情で起きるどこかの国の戦争で、私やあなたの友人が命を失うことを心配するのは、心配しすぎでも良いのではなかろうか。 短気を起こしたり、短期的な政治的成果を求めることの方が怖い。

昨日の「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル(TBSラジオ、土 22:00−)は、夏恒例の G-POP 特集。 J-POP ではない。 G-POP の G は軍歌の G。 史上最強の J-POP、それが軍歌。

ラインアップは素晴らしいの一言。

爆弾くらいは手で受けよ(笑) (注: 原題に(笑)は付いていない)

♪ ひとつとやー
日ごとに高まる波の音 太平洋に危機迫る
用意はできたか ガッテンか
いざーというときゃ 体当たり
それっ 爆弾ぐらいは 手で受けよ

・・・ ダメだよな、爆弾を手で受けちゃ。 常識的に。

ふたつとやー みっつとやー ・・ と続いていく数え歌である。 全体を通して何回も出てくるのが 「いざーというときゃ 体当たり」。 この歌が出たのは昭和 16年で(12月に真珠湾)、絶望的な日米の戦争はろくに始まってもいないのに、こともあろうに民間人が 「いざーというときゃ 体当たり」 などと歌っているところを見ると、特攻攻撃は日本人の宿啞であることがよくわかる。 ニポンの風土病なのだろうな。

○ 翼賛親子

♪ (母子とお父さんの対話の体で)
母 「あなたにまま(ご飯)食わしょ」
子 「父さんにまま食わしょ」
父 「まっぴら御免よ 新体制だ 節米しょ」
母 「そんなら食堂へ なぜなぜ 行った?」
父 「・・・ あれは らんらららん」
母子 「『あれは らんらららん?』」
父 「ご飯は食べない らんらららんとパン食べに ・・・」

すこーしユルいお父さんが、隠れてこっそりと服屋で服を作ったり、食堂で白米を食べたり、酒を飲んだりする 「非国民」 的な贅沢を、大政翼賛会の忠実な会員たる母子がチクチクと問い詰めるという地獄絵図のような歌である。 家庭内ゲシュタポが推奨されていた吐き気がする時代。 隣組で、けしからん思想を持った奴がいないかをこっそり監視し、お上に密告する時代。 しかしまぁ、時代を問わず、この歌とは別の理由で、この手の地獄を家庭内で味わっているお父さんはたくさんいるだろうから、それはそれで良しとしようか(笑)。

○ 防空音頭


鳴るはサイレン 警報だ 燈管 
ヤットヤットナ
覚悟さだめた 覚悟さだめた心意気
ソレ 撃って落として 万歳!万歳!
どどんがどんと撃て どんと落せ

米軍機の爆弾がホントに空から降ってくるようになると、こういう感じになる。 なんかもうこのあたりまで来ると、やけくその匂いがプンプンとするぞ。 ♪ あ そーれ、どどんがどんと撃て どんと落とせ (笑) シュール ・・・ いや、サル的な感じだ。 「日本版NIHで国威回復」 などと言っている方々にぴったりか。

他にも、密告礼賛の 「防諜音頭」、意味不明な 「闘う足立」、リットン調査団を揶揄した 「あらまあ認識不足よ リットンほどではないけれど」 など、もうお腹いっぱい、豪華絢爛たる軍歌を堪能しましたよ。

軍・軍隊的なものを宣伝するのに、お上が楽しげな軍歌やアイドルを使うのは、今も昔も同じ ・・・ というのがライムスター宇多丸の番組の締めのお言葉。 ほーら、つい最近、あなたもテレビで見かけるようになったでしょ、アイドルの顔。 我々同時代人は、時代の流れが少しずつ、しかし確かに変わるのを目撃してるのよ。 そこのあなたも目をそらしませぬように。

*****

お盆休みは例によって戦記を読み耽る。 昨年出たのに読むタイミングを失していた 「巨大戦艦大和(NHK出版)」 を読了。

大和の乗組員の生き残りのおじいさんの一人が、大和が鹿児島沖で沈没する直前に総員退艦命令が出たときの気持ちを聴かれて、次のように答えたのが印象的だった。

「(自分から海に飛び込むことに)躊躇は全然ない。嬉しかった、海に飛び込むのは。 僕は本当に海が好きだった。 大和に乗っとって嬉しかったのは、あんときだけだな。 『あー、やれやれ、これで生きられる』 と思うて。 それまで (軍隊では陰湿ないじめでひどい目にあっていて) 嬉しいことはひとつもなかった」 (p179。 カッコ内はサル的なヒト)

わかる、わかる。 政府に無理やり戦争に駆り出され、無理やり人殺しをさせられている人たちの正直な感想はこうだろう。 映画 「硫黄島からの手紙」 で二宮和也が演じた大宮出身のパン屋もそうだ。

医薬品業界の皆さんだって経験あるでしょ? 選挙の時に、会社の仕事がらみで動員命令が出て、個人的には支援する気など全くない議員さんの出陣式に駆り出されたりして。 「会社からの指示とはいえ、自分はなぜこんなところで 『エイ エイ オー!』 などと叫んでいるんだろう?」 と虚しくなったりして。 ほら、その時の気持ちですよ。

世の中には、自分の仕事や使命や価値観に酔いしれ、それを好意のつもりで他人に押し付ける輩であふれかえっている。 私自身もそうだし、あなたの会社やお役所もそうでしょう。 でもね、あなたの隣で仕事をしている人は、ほぼ間違いなく、あなたの信じていることを(心の中では)信じてはいませんぜ。 あなたが怖いから、あるいは、あなたを傷つけるのが怖いから、あなたに表面的に同調しているだけ。 それが現実の社会というもの。(注 1)

(注 1) 世のエラい連中は、この当然の現実がなぜか理解できなくなるんだよな。 部下が上司を本当にエラい人だと思っているわけなかろうに。 腹の中では軽蔑したり、罵ったりもしてますよ (むろん賞賛することも、尊敬することもあるのでしょう)。 問題なのは、軽蔑・侮蔑の程度であろう。 

そうした現実をただ悲観するのではなく、共に同胞を助け合う優しい社会 (徳のある社会、善が満ちた社会) を築こうとするのであれば、埋めがたい 「個人の違い」 をシニシズムではない態度で真正面から受けとめるしかあるまい。 違うもんは違うのだ。 「あの憎たらしい野郎、潰してやる!」 ではなく、「あの憎たらしい野郎も社会の一員だ。 受け容れよう」。 大変な苦労が伴う道だけど、それしかやりようがないんだよ。

放っておくとすぐに安楽な道を行き、大政翼賛会を作りたがるニポン人。 大政翼賛会の号令に従って一色に染まることが嬉しいニポン人。 自分たちで自発的に隣組を作って、意に沿わぬ奴らをお上やお偉いさんに密告するのが大好きなニポン人。 業界人の行動見てると、70年前も今もほとんど同じだ。(注 2)

(注 2) 今はグローバル企業も大政翼賛会を文字通り翼賛してるから話がややこしい。

「私は命令に従っただけだ」 by アドルフ・アイヒマン (ユダヤ人虐殺の実質的指揮者) 

「リアリティとは 『ナチスは私たち自身のように人間である』 ということだ」 by ハンナ・アーレント