小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

老眼鏡と黒ケース

毎年、年齢を重ねていることを実感するのである。 また今年もあの季節がやってきた。 半年間の研修コース、医薬品評価科学レギュラーコース (通称RC) の初日である。 ピカピカ (とは言い難いおじさん・おばさんを含む) の新受講生100人を迎え、こちらも気合を入れて対応していきますよ。 

今年はついにアレを導入したのだ。 アレ。 過去10年間の受講生が切望しつつも 「準備が面倒くさい」 という高い壁に阻まれ続けて、決して実現することのなかったアレですよ。

コーヒー(笑)

ブレイクタイムにロビーで、事務局がどこからか調達してしたきた熱々かつ香り高いコーヒーを、受講生の皆様に提供するようになったのである。 缶コーヒーぢゃないぞ。 この驚くべき進化に、夢破れてきた過去の受講生はきっと歯ぎしりしながら悔しがっていることだろう。

コーヒーの提供の次くらいに大事なのは、皆さんにしっかり勉強してもらうことである。 それが講師陣と主催者に課せられた責任。 初日にF原先生の講義を入れているのにもちゃんと理由があるのよ。 いきなりガツーンと来たでしょ? 自分の仕事との関係がよくわからなかったでしょ? 皆さんが普段目にすることの無い、医療と社会の戦いのフロント (最前線) の景色を見事に見せてくれましたね。 そして皆さんを突き放してもくれました。 「企業は新薬をこう開発すべき」 なんてユルい講義はしない。 「当局職員はこうした方が良い」 なんてつまらない提案もしない。 企業や役所でボーっと日々を過ごしている人たちには相当に厳しい講義だよね。 こういう講義スタイル、私は大好きである。

さて、突き放された受講生の皆さん (特に企業社員) は、そこで何を考えるのか。 それが問題。 「考える力」 が無い方々は、「薬価の高いお薬を効率的に使う仕組みが必要である」 だの、「遺伝子検査をますます活用して抗がん剤を適切に使う必要がある」 だのといった、無意味で無価値な感想しか持てないかも。 その意味でF原先生の講義は 「思考停止のリトマス試験紙」 でもある。 「自分の頭で考えろって言ったって、いったい何をどう考えればよいのか、さっぱりわからない ・・・」 と途方にくれるかもしれぬが、まずはそれでよいのだ。 それが第一回。 私から考え方のヒントを与えることも当面はあえてしませんので、いろいろ悩んでみてください。

「F原先生の講義って、知らない情報がたくさん詰まっていて、とても勉強になりました。 どうして途方に暮れるのか、どうして悩むのか、私にはさっぱり分かりませーん」 というお気楽受講生は、少し頑張らないと受講料の元が取れないかもしれない。 そういう方々は、自分が、毒まんじゅうを平気で喰らって、気が付いたら死んでいるタイプであることをまずは自覚することである。 でもね、受講生を期待を込めて送り出した会社の研修・人事担当の皆さん、大丈夫です。 結果にコミットするのがライ○ップ、いやRCである。 研修・人事担当の期待にお応えできるよう、私も精一杯受講生をチクチクいぢめて、鍛えぬきますので。 お任せください。

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ついに買ってしまったのである。 いや、買わざるを得なかったのである。 老眼鏡。

連休中に浅田次郎の 「一路」 文庫版を読んでいたのだが、文庫本の小さな字が読めなくなったことに愕然。 ルビに至っては存在すら分からない。 最近では、英単語の発音記号が読めないことにもイライラしてしまうのである。 milieu とか entourage とかいったフランス語系の単語って、アクセントや発音が難しいのに、小さな発音記号がまったく見えない。

こりゃダメだとついに諦めたのである。 オレはジジイになったのだ。 もうオレの人生はあらかた終わったのだ。 後は屍を拾ってもらう人生なのだ。 あの分厚い、他人から見ると目が大きく見える、虫眼鏡のようなメガネをかけないといけないのだ。 ケント・デリカットのようになるのだ。(注 1)

(注 1) 古い。

渋谷のメガネ屋さんに老眼鏡を買いに行く。

店員の若いにいちゃんに 「一番安い、貧乏なヒト用の老眼鏡をください」 と言ったら、「承知しました」 とニコニコしながら貧乏人向けのフレームとレンズのセットを提示してくれた。 デフレ社会は貧乏人にやさしいことをあらためて認識する。

「読書用なら30センチのところにピントが合うようにしますね」 って感じで検眼して、出されたレンズなのだが、なんかイメージと違うのである。 あの重厚感のある凸レンズではない。 虫眼鏡っぽくない。 老眼鏡としての貫録がこのレンズには無いぞ。

「あのー、これってほんとに老眼鏡っすか?」 と恐る恐る店員のにいちゃんに尋ねてみた。
そしたら、「あ、これは老眼鏡っていうか、近視のメガネですね。 お客さんって結構強い近視なので、このメガネは、度を弱めた近視用のメガネ、ということになります」 とあっさり答えるではないか。

あいやー、そうなのか。 知らなかった。 こっちは、虫めがねの凸レンズ、ケント・デリカット風を覚悟してきたのに、そして、分厚いレンズってちょっと材料費がかかりそうだから (笑) 出費も仕方ないよねと思って財布のひもを緩めたのに、実際はそうではないのね。

損したような、得したような。 嬉しいような、悲しいような。 なんとも表現しがたい複雑な気分になったサル的なヒトなのであった。 同年代の皆さんには、この気持ち、分かってもらえるだろうか。

複雑な気分に浸ってしまい、最後にサービスでもらえるメガネケースの選択を間違えてしまった。 持ち歩くから軽いケースが欲しかったのに、何を思ったか、一番頑丈で、真っ黒で、重くて、象が踏んでも壊れないようなケースを選んでしまった。 たとえて言うならば、大東亜戦争中に南方洋上の島に出征する兵隊さんが持っていきそうなメガネケースである。 

家人に、アホじゃないの? とバカにされる。 が、まぁモノは考えようだ。 少しずつ何かが狂い始めているこのご時勢、もしや50歳過ぎの兵隊さんとしてイラクかシリアあたりに出征させられるときには、きっとこの重厚なメガネケースが役に立つにちがいない。

荒れ果てた異国の地に屍 (しかばね) と共に残る、黒くて重厚なメガネケース。 象が踏んでも壊れないのだから安心だ。