小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

ニポンのじいさん考、再び

少し前に大学の研究室の同窓会があった。 恩師の先生方、先輩方が久しぶりに集まって、近況などを語り合う。 恩師のF先生が退官される同じ時に大学院を出た私は、この同窓生の中では、永遠に下っ端、カーストの最下層、すなわちパシリである。 50過ぎてのパシリは結構辛いものがある。 が、しかし、そうも言うておれんのである。 だって、恩師・先輩たちがみんな毎年毎年高齢化しているんだもん。 高齢化社会ニポンの行く末をしみじみ考える良い機会とも言える。

定年退職した先輩方も色々。 同系統の会社に再就職された方もいれば、田舎で農業をやってる方々もいる。 女性では薬剤師として働く人たちも多い。 おじいさん・おっさんたちよりも、おばあさん・おばさんたちの方が元気で明るく見えるのは、ニポンの一般的な傾向である。

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ニポンのおじいさん・おっさん (以下 「じいさん」 と一括りにする) はどうも評判が悪い。

先週の週刊文春の 「悩むが花」 というコーナーに、ある主婦から伊集院静へのこんな質問があった。

Q. 先日、ベビーカーが邪魔だと一歳の子供を殴った六十四歳の男が捕まりました。 個人的な話になりますが、子供と電車に乗っていて、トラブルになる頻度が高いのが年配の男性です。 同じ年代でも女性は可愛いねと声をかけてくれますが、男性は全然。 子供が近づいただけで舌打ちをされ、妊娠中などお腹に肘打ちをされたことがあります。 普段は少子化と騒ぐくせに非協力的で、「老害」 と言われても仕方ないと思います。(32歳・女・主婦)

これ、私もまったく同感なのよ。 伊集院さんは 「日本を支えてきたのだから、温かく見てやってよ」 とじいさん側に好意的に答えていたが、私はそうは思わぬ。 前にもこのブログで書いたけど (例えばコレね → 日本のじいさんを考える - 小野俊介 サル的日記 )、ニポンのジジイは相当にイケてないと思うのだ。 どこがイケてないか、具体的に指摘してやろう。 自分自身がもうジジイで、怖いものなんてないからな(笑) 自分のダメなところを正直に書けばよいのだ。

ニポンのじいさんのイケてない点 その1: デフォで顔がコワい
長年、部下や女子供の欠点を見つけてネチネチと叱り飛ばすことばかり考えてきたから、顔がコワい顔のまま固まってるんだよな、ニポンのじいさんたち。 揃いも揃って不愉快そうな顔ばかり。 不機嫌ジワが顔に刻み込まれてる。 電車の中で、周囲のじいさんたちを眺めてごらんなさい。 円満な微笑みを浮かべた優しそうなじいさん (例: 御前様の笠智衆) なんていやしないでしょ? ちょっと身体が触れただけで怒鳴り声をあげそうな、こわーい顔したジジイだらけ。 私自身、電車ではジジイの隣にはできるだけ座らないようにしてるもん。 怖いから。 たぶん奥さん・子供も相当に嫌になってることでしょう。

じいさんたちさ、たまには自分の顔を鏡で3分間くらいじっと眺めてみたらどう? 自分がどれほど周囲に威圧感を与えてるかを認識できるはずよ。 それを自覚した上で、訓練だと思って、街中で赤ちゃんやワンコやニャンコを見たら、ニッコリ笑いかけてみようよ。 見知らぬ人とふと目が合ったら、ニコッと微笑もうよ。 隣に座った人たちと話をしようよ。 大丈夫、練習すればできますよ、きっと。 ・・・ そこの女子、「おっさんの笑顔なんて気持ち悪い」 とか言うなよ。

ニポンのじいさんのイケてない点 その2: 老いてますます付和雷同、寄らば大樹の陰

出世競争もゴマすりももう必要ないのだから、好き勝手に自分の信じるところを堂々と語れば良いのに、ニポンのじいさんたちって、老いてますます 「寄らば大樹の陰」、「長いものには巻かれよ」 である。 必死で与党の側にいたいのね。 とっくに現役を引退したじいさんがいつまでも業界・当局のおエライさんや若造に迎合する姿見てると、情けなくて涙が出てくる。 会社・役所の役職を通してしかモノが見えないし、言えないのね。 そういう方々って、マジで 「○○製薬 取締役」 「××社 部長」 「△△協会 理事長」 とかいう肩書を棺桶に書きこんだり、棺桶に名刺を入れてくれって遺言残して、あちらの世界に行くのでしょうか。 あちらの世界ではその肩書と名刺はもう使えんと思うがな、たぶん。

おじいさんの中には、自分の仕事の価値に何一つ疑いを抱くことなく、漫然と会社員・公務員を何十年も続けたせいで、年寄りになっても何も考えられないヒトがいるのかもしれぬ。 自分の頭で 「新薬開発とは一体何ぞや? 社会の幸せとは何だろう? 我々の知識って何だろう?」 といった大問題と格闘しないまま、じいさんになったヒトもおられよう。 

でもね、万一そうだとしても、今からでも間に合いますぜ。 勉強すればよいのです。 その手の話を若者と一緒に考えてみませんか? ご要望があるなら、今から、うちの研究室で倫理や社会選択論を勉強することもできますよ。 ただし条件が一つある。 若い学生の前でむやみにエラソーにしないこと。

そもそもジジイなんて人種は偏屈上等でOKなのだ。 クリント・イーストウッドのような、素晴らしい偏屈ジジイになればいいのよ。 私も彼のような偏屈ジジイを目指しています。 これ → クリント・イーストウッド礼賛 - 小野俊介 サル的日記 と、これ → 気骨のあるジジイは素敵である - 小野俊介 サル的日記、 読むべし。

ニポンのじいさんのイケてない点 その3: 開き直る

人間はみんな臭い。 各世代みんな臭い。 赤ちゃんは甘酸っぱくて発酵臭い。 男子中・高校生なんてのは汗と埃の混じったたまらん臭いがする。 おばさん世代のファンデーション・化粧臭もすさまじい。 そして言うまでもなく、中年・じいさんは加齢臭。 前にも書いたが、サル的なヒトなんぞ、襟元から野生動物のようなくっさい臭いを絶え間なく発しており、何回洗ってもパジャマが臭い。 最近では顔面から分泌される脂が臭くなってきて (酸化した機械油のごとき臭い)、自分でも時々 「うっ! くっせー!」 とうなってしまうことがあるほどだ。 朝起きた時の自分のベロも破滅的に臭い。 歯茎が弱ってきているせいか、口臭もひどいのを自覚している。

臭いを気にしすぎてはいかん。 何せ人間ってみんな臭いのだ。 しかし、だからって 「仕方ないんじゃい!」 と開き直ってしまうのは違うと思うよ。 自分の臭いは自覚しないといけない。 他人を過度に不快にしてはいけません。 なーに、ちょっとこまめに風呂に入るとか、消臭石鹸・消臭コロン使うとか、ガムを噛むとか、それだけでだいぶ違うよ。 松岡修造のファブ○ーズなんてのもお勧めだ。(注 1)

(注 1) これは足腰がしゃんとした中高年向けの話である。 人生の最後、私もあなたも便失禁といった状態になることもフツーにありうる。 そのときには開き直るしかあるまい。 介護してくれる人たちに、いつも 「ありがとう」 と言える自分を目指したい。 数十年後にまた別の記事を書くから待っててね。

ニポンのじいさんのイケてない点 その4: ギャグがつまらない・しつこい

ニポンのジジイはダジャレ好きである。 ギャグとしてのダジャレ自体が微妙なのは置いておくとして、日本のオヤジって、そのダジャレがしつこいのである。 何度も繰り返す。 これではダメである。 カックラキン大放送で活躍していたかつての野口五郎を手本とすべきなのである。 彼の美学は、「ダジャレは一度きり。 決して繰り返さない。 ダジャレ後の 『なーんちゃって・・・』 も一回だけ」 であった。

お気づきだと思うが、「その4」 のイケてないオヤジというのは要は私である。 反省。

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五木寛之さんは、この問題の根深さにすでにお気づきである。 社会における 「嫌老」 の動きって、これからだんだん過激になり、近い将来、大きな政治問題化するかも。 若者にとっても老人にとっても、「まぁ、こんなもんでしょーがねーか」 くらいのいい塩梅の落としどころが見つかることを祈るほかない。

嫌老社会を超えて

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