小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

年賀状あれこれ

ろくに努力をせずとも、ろくに頭を使わずとも、ラーメンと海鮮丼を時々食べてさえいれば、一年はあっという間に過ぎていく。 あぁ、そしてまた明けましておめでとうの季節がやってきたわけである。 皆さんお元気?

年賀状を見ていると、差出人の生き様が見事に反映していて面白い。

「今、会社(お役所)で○○の業務を担当しています」 と律儀に毎年報告してくださる方々。 仕事が自分のアイデンティティなのね。 仕事のことを年賀状に書くなんて、そんな気分になったことが過去に一度もない私としては、ある意味うらやましい。 この人たち、将来仕事を辞めた後に年賀状に何を書いてくれるのかが楽しみである。 きっと 「週3回プールで500メートル泳ぐ業務を担当しています」 とか書いてくださるのだろうなぁ(笑)

名前と共に必ず組織 (会社・お役所・大学) の役職や肩書を書いてこられる方々。 こうした方々についても 「組織なんてものは単なるコンクリートの箱で構成員のことなんぞこれっぽっちも愛してはくれていないのだが、肩書を失ったらこの人は何を書くのだろう?」 と心配になる。 余計なお世話だけどね。 学歴・学位が記された年賀状もある。 違和感ありまくりなんですけど。

そういえば役職名を年賀状に毎年必ず書いてきたあるおじさんの例を思い出した。 定年退職して肩書がとうとうなくなってしまったのだが、その年の年賀状にはただ単に 「顧問」 とだけ書いてあったっけ。 会社名も無しに 「顧問」。 とりあえずの肩書は 「顧問」。 うーむ、そこまでして書かんといかんものか、肩書って。 麻薬並みの依存性である。 もっとも、世の中のほとんどのおっさんたちはその肩書なるものに人生をかけているのだ。 そりゃヘロイン並みに耽溺性は強かろう

家族の写真を送ってくれる友人も多い。 とても楽しいのだけど、年齢を重ねるにつれ、写真のサイズが徐々に小さくなる傾向がある。 最後は子供の写真だけになったりして。 最近のカメラって画質が上がっているから、顔の皺、たるみ、シミがそのまま映るんだよね。

実はわが家の年賀状にも家族写真を添付しているのだが、家人からは 「年賀状用の写真は、古いガラケーの画素数の低いカメラで撮ったやつを使うこと」 と厳命されているのだ。 それでも自分たちのじいさん化・ばあさん化は年々明らかなのだから、どんだけの速度で老けてるんだよ、自分たち(笑)。 だけどね、いいのよ、それで。 人間だもの。 顔面における老化への抵抗を松〇聖子のように続けるのはごめんである。

例外もいる。 大学時代の友人のN君は、今年も例年と同じように家族全員がきちんと整列した、大きなサイズの写真を送ってくれた。 そんなところにも実直で優しい人柄が滲み出すものである。 ありがとね、N君。

*****

70、80代の方々から頂く年賀状に 「賀状での挨拶は今回限りで遠慮させていただきます。 長い間のご厚情に感謝します」 と書かれているのを見かけることが増えた。 自然と涙がこぼれ落ちる。 お気持ちはよく分かります。 他人の人生のあれこれになどまったく興味がなくなるのだろうし、衰えた自分のあれこれを他人に伝えることの意味もなくなるのだろう。 人生の先輩方、お疲れ様でした。

facebook や インスタで自分の一挙手一投足、食った昼メシまでも他人様に見せるのが生きがいの人たちがたくさんいるけど、その手の人たちが将来どのように世間から立ち去るのかは興味深いところである。 SNS からの去り際の美しさ、ぜひがんばってみてください。 もちろん、死ぬまで自己顕示欲の塊であり続けるのも悪いことだとは思わぬ。 人間だものね。

*****

東京理科大学の浜田知久馬先生が昨年末に急逝された。 二週間ほど前にメールで 「来年もよろしく」 とメールで挨拶を交わしたばかりだったので、連絡を受けてしばし呆然。

付き合いが浅い頃は 「ちょっととっつきにくいヒトなのかな」 と勝手に思っていたのだが、大学や日科技連で講義をお願いし・お願いされるなどで付き合いが深まるにつれて、実はとてもやさしい心根のヒトであることが分かったのである。

統計学の先生だから難しい話はむろんいくらでもできるのだが、東大のレギュラーコースでは初心者・門外漢向けのやさしい講義をお願いしていた。 これがまた絶妙。 学生の顔色をチェックしながら、講義室を右に左にクマさんのように歩きつつ、時にマンガ入りの題材で受講生の笑いを誘いながら、毎回とても分かりやすい講義をしてくださった。

日科技連の BiOS コース、箱根での合宿の二日目の朝に聴いていた中間試験の採点結果と講評はとても楽しかった。 あの独特の語り口はもう聴けないのですね。

さびしいです。

浜田先生 さようなら